エーリヒ・ケストナーは3x3x3回かがやく
- 作者: ケストナー,ワルター・トリヤー,高橋健二
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1962/05/16
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- 作者: ケストナー,ワルター・トリヤー,高橋健二
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1962/07/18
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- 作者: ケストナー,ワルター・トリヤー,高橋健二
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1962/05/16
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上記リンクの本は必ず近所の図書館にあるので、是非一度読んでみてください。なんとなくはじめに読んだのが高橋健二訳ということで、それが気に入っています。日本語が少し古いですが。逆に、それが気になる人には池田さんの訳もけっこういいそうですね。
さて、絶対におすすめの3冊というのが、上記の、ふたりのロッテ、飛ぶ教室、エーミールと探偵たちです。私は中学の途中までの国語の先生がこわいおばちゃんだったけど、いい先生で、あと高校の終盤も見た目が道を極めてるような容姿の先生で、しかも文学はお前等ならもうある程度わかるだろうけどエロスが重要だとか、かなりキーポイントではいい教育を受けたのですw オルタナティブですけどw
それ以外では、まあ国語って微妙でした。十五少年漂流記とか生徒なら読むべきみたいな風潮とかあって、いや良い本だと思うんですけど、それよりも思うところが昔からあるんです。
そんなに遠くに行かなくても抱えることになった大きな問題や冒険はあるし、問題と組しても素敵に解決できることもあるし、無人島に漂流するよりもいろんな人とどうやってやっていくのか、どういう人に会うのか会えるのかの方が、よっぽど人生では重要だと私は考えて、なので遠いところや無人島に行くよりも、家族や友人のいるところで「すてき!」なことができる方が良いよねと思うのです。
こんなエントリ読んでるよりも、元々は児童文学よりなところがあるので、ちゃちゃっと借りて読んでしまいましょう。図書館に、ワルター・トリヤーが挿絵を書いたもっとかわいくレトロでポップな装丁の本があるはずです。
さらに3冊
- 作者: ケストナー,ワルター・トリヤー,高橋健二
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- 作者: ケストナー,ワルター・トリヤー,高橋健二
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わたしが子どもだったころ (ケストナー少年文学全集 (7))
- 作者: ケストナー,ワルター・トリヤー,高橋健二
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五月三十五日は、飛ぶ教室とはちょっとちがう大人達と子ども達の関係が面白かったりします。あと、五月三十五日はほかの作品とちがって相当にサイケデリックで、子どもの頃、当時はくるってなくて純粋だった私は、黒い馬と白い馬が結婚してしまうまができたというのを信じていたのですが、じゃあ、黒人と白人が結婚したら... というのが書いてあります。
最後のは伝記です。輝ける闇の開高健は自分で体験した事をベースにして物語を書く人だったわけですけれども、ケストナーのモチーフも自分が子どもだった頃がベースになったキャラがたくさんいて、この伝記を読むと、今までの物語の登場人物がそれぞれ、ああ、なるほどとなるのです。
冒頭の3冊はとてもおすすめですが、この3冊はどちらかというと、著者の作品を奥行きを持って知りたいという方におすすめです。
とにかく、愉快なシーンもあり、さっぱり感動するシーンもありという物語はやっぱり良いですよね。
3回輝く
もちろん、他の書籍も素晴らしいのですが、あとは読むタイミングというは馬鹿にならないものです。中学のときの厳しいおばちゃん先生と、高校の時のエロヤクザ先生がもし逆だったら、ちょっといけないことになっていたと思います。そういう風に、タイミングというのはとても重要なのです。
ケストナーの本なのですけど、はじめは小学生くらいのときにですね、気の利いた親なら教えてくれたりするものです。うちは母がそうでした。それで近所の図書館で借りて来て読みました。これが1度目です。このときに、少しだけ大きくなった時のことを考えたりします。
2度目は中学生くらいのときに、自分でなんとなく借りて来て読みました。登場人物たちの年齢を追い越したり追いついたりした頃ですね。そこで、自分が小さくなった時のことを考えたりします。
3度目は自分たちがお父さん、お母さんになったときです。子どもの時の事を覚えていれば、もしくは、思い出せれば悪く無い親になるのは、例え楽ではなくてもそう難しい事でも無いだろうと、自分たちの子ども時代の事を振り返って考えたりします。
そういう、真剣に物事を考えるときには、素敵な物語が必要だったりしますよね。
というわけで、やっぱり今も昔も子どものための本気はいつだって、子どもだましではないのでした。