あったらしくるえるはてなくしょん

id:kskmeuk あったらしく

量産される形無しと放り出された判断放棄の連鎖

考える事や基礎の修練をいきなり放棄されるのは不幸だと思う。誰よりも教わった子が気の毒なんだよね。あわせてひとりで全部教えないといけない小学校の先生なんかもあわせて気の毒ではあるのだけど。

もっと学校で、テクニックを教えてくれればよかったのに
技術を教えてくれた先生:しっぽのブログ
これらを拝見して。

浜口さんちのお父さんが "気合いだー!!" ってやってたけれど、あれは五輪に出場してメダリスト同士の戦いでの最後の一押しで、一番最初に精神論とか、自由にやってもいいよとかも、ある程度極めた上でやることで、いきなりそれは、やっぱり教育において教える側の責任を何も考えてない事の証左だと私も思う。

守破離ってやっぱりいい言葉だなと最近は思う。はじめは"守"でよくて、その基礎がないのであれば、本人は「型破り」とおもっていても「形無し」なだけなんだよね。だいたい基準として考える材料もなしに考えられないしね。*1

それから、

これはすごくよくわかるなぁ。 自由自由って、おまえらどんだけ楽してるん..
自由自由って、おまえらどんだけ楽してるんだって感じ。
勉強または趣味がなぜ楽しいのかというと、自分が成長する実感があるから楽しく感じるんだよね。

すごく同意。教育関連ネタを見てしまうと、為末の課外授業が思い出されてしまう。目標と課題と練習と修正とやりがいと気合いが組合わさった、あれこそ教育と、いつも思う。もちろん自分で解決できるのに越した事はないのだけれど、いい指導に巡り会えるのは幸福だなと。いい教育はやはり素晴らしいエンターテイメントだと思うし。
べ、べつにNHKに再放送しなさいなんて、頼んでないんだけど、もしやってくれるならみんなも喜ぶだろうし、私も少しだけ見直してあげてもいいんだから。*2
ささやかな参考:課外授業 ようこそ先輩 為末大の回がスリッパで走り回りたいくらい気がふれるほどよかった。

科学的に...というと少し大袈裟なのだけど、実技系や創作系の授業もうまくやる方法って実は、きちんと理由があって、ちょっとした基礎のためのコツがあることが多い。それって自由にやったり気合いだけだと、やっぱり解決できなかったり、変なクセがついてもったいなかったりする。私の場合は中学のときの体育の先生と理科の先生と、英語の塾の先生にいろいろ教わった。

  1. 走り幅跳びでもっと高く跳べと指導があったけど、そのためには実は背中を反る。
  2. 倒立でバランスとるためには、あごを出すとか引くとかで調整。

とかが一例かな。しっぽのブログさんの台形に見える立方体も同じくそういう例だと思う。
もともと出来てしまうセンスのいい子もいるのだけれど、ちょっと正しいコーチングがあれば、それで解決できて、その恩恵を受けられる人がたくさんいるはずだと思う。そして、出来るようになったらやっぱり楽しい。特にこれって小学生とか早いうちに一度でもいい教えにあえるとしあわせかなと。私自身がフィジカルとかボディコントロールとかどんくさかったしなぁ...orz。

だいたい先生も一緒に実演や実践してくれないときは微妙なことが多かったよね(苦笑)。あと理系っぽい考え方ができる人の方がやっぱり教えるのうまかったりしたかな。
もっとも、体育 < 音楽 < 美術(作文) の順番で評価の問題が難しくはなるかなという印象があって、体育だとタイムとか記録が残るので良いのだけれど、そこんとこ美術とかはもう少し大変かなと思う。けど、しっぽのブログさんみたいに線の引き方や、実例を示してくれるとやっぱりもう少しわかるとことがあると思う。子供心に絵のうまい同級生とかやっぱりいて、そういう子は、そういう事を何となく体得していたんだろうなと思った。線そのものがなめらかできれいだったしね。テレビのアニメのキャラとかほとんどそのまま書けるレベル。

そこで、
[教育]もっと、学校でテクニックを教えてみた教師の憂鬱
この憂鬱。実際その同級生の絵もうまかったのだけど、先生受けとかは良くなかった。コンクールの審査員とかね、もうね、って感じ。確かに小中学生の感想文コンクールの文章とかちょっとクセがある、というか正直に言って若干クサイというかキモイというかそういうの結構あった。でも、たまにすごいのもあるよね。=>http://d.hatena.ne.jp/mellowmymind/20070515/p1

けど、一方でもっといい事をわかっていて、信念を持って結果を出した人たちもいるのでご紹介したい。
これは、こないだ実家にいたときの新聞*3でみた。柏レイソルのユースがビジャレアル主催のローカル試合に招待されて欧州遠征してアヤックスリバプールと試合して勝ったらしい。
スペインのサッカー雑誌にレイソルユースが | 日本で活動準備中のサッカー監督のブログこれは現地の記事を抜粋してくださったかたのエントリ。

その結果を出した柏ユースの指導方針に、"若いんだから思い切って行け!!" みたいな事は絶対に言わないということを言っていた。
 若いから状況判断をしなくてもいいわけではなくて、引くべきところでは引いたり、思い切ってあがるところではあがって行くという判断は大人も子供も必要で、"若いんだから.." は考えてるのを放棄してるだけ。それでは、日本のレベルはあがらない。と、バッサリ一刀両断ですごい気分がすっとした。自由にやれとかも、子供らしくとかも結局何も考えていないとかオトナの方の都合なだけなんだよね...。
実際、オシム監督の指導や名言集や試合っぷりなんかもこれに通ずるところがあるかと思う。
まず、守るべき基本としての走って走って走れることはあるんだけど、次に、状況を判断してただ走ることから一段ステップアップして、時には挑戦としてリスクをとる実践、そして最終的には、全体や結果にむけてアクティブにリスクをコントロールしてリターンを得られるようになることを目指していたと思う。
*4

わかるわかる。学校だけじゃなくて本格的な稽古事でもそうだったりするん..
それから、やっぱり音楽も難しい....。
たとえば、合唱なんかでも「もっと迫力だして!」とか、言われて、わけわからんうえに、ちがうちがうとか延々怒られたやな思い出があったのだけど、それが実はサンハイよりも気持ち速く歌いだすとか、実はそもそも拍が等分割じゃだめだったりとか、ピッチがそもそもちがうとか、少しのばすとか表現として、色々あるのよね、実は。教科書通りの演奏ができるまでがあるけど、出来た後に表現としての越え方とか。そういうのも小さな頃に教われるのは良い事だと思う。*5

パラダイス鎖国でも有名な海部さん(id:michikaifu)が以前指摘していたけれど、日本って例えば得点が高い方がいいとか、速い方がいい、みたいにみんなが合意できるわかりやすい良い事にはイケイケドンドンになる。けど、評価が分かれる事や賛否両論あることだとみんなもにょもにょとなるのって、その遠縁には、この"自由にやれ"問題にいきなり直面して、放り出されて困っただけのいや〜な思い出が少なからずあるからなのかも。だから、1番を追いかける間までは爆速だけど、いざ頂点にたったときに、どうしようどうしようってなってしまうんじゃないかな。

やっぱり教育って大事。

こういうときの解決の工夫や、判断の方針って、学習のための一番基本って気がするし、それが教育って気がする。教育と人件費のコスト削減はとりあえず数字は出るのだろうけれど、偏食ダイエットするくらい相当なリスクなのだろう。

けど、もうやってしまったんだよね...日本。

日本語ということば (Little Selectionsあなたのための小さな物語)

日本語ということば (Little Selectionsあなたのための小さな物語)

パラダイス鎖国 忘れられた大国・日本 (アスキー新書 54)

パラダイス鎖国 忘れられた大国・日本 (アスキー新書 54)

*1:これは中村勘三郎か誰かのインタビューだったかな。やっぱり昔の日本ちょっとすごい。

*2:北京五輪は残念だったけど状態としてもしょうがない... お金はどんどん稼いでほしいと思うけど、サニーサイドアップ関連で何と言うか中田ヒデさんみたいに油っぽくなってほしくないなと脱線

*3:たぶん、読売

*4:反町JAPANとか星野JAPANとかもそんな名前だけでしか語られないのはちょっとね...。チームの方針ありませんと、考えてる事を放棄しているような。だからなでしこはもう少しましだったのかなw

*5:ワルツとか3等分にズンチャッチャじゃなくて、ズーンチャチャッな方がいいときがあるとかも、大人になって知った NHKの池辺さんのウィーンのワルツ紹介だったかな