あったらしくるえるはてなくしょん

id:kskmeuk あったらしく

アンダーグラウンド

どんさんにすすめられて*1 象の消滅を読んだり、神の子どもたちはみな踊る を読んだりしていました。短編集が好きなのです。これらはとても満足しました。
特に象の消滅パン屋再襲撃と「まえがき」は本当に面白い。

それで村上春樹なのですが、面白いというか、この人はいろいろ誠実な人なんだな、と思うのと、同時にすごい人だと思っています。

物語自体も面白かったのですが、象の消滅の「まえがき」が、なんだかすごく魅力的で、このひとはエッセイとか事実とかを、そのまま書くのは小説よりもすごいんじゃないかとおもったりもしました。

というわけでアンダーグラウンド

そして、今は村上春樹全作品 1990-2000 6 アンダーグラウンドを読んでいます。

図書館で借りて来た全集の6でよんでいるのですが、これ、スゴい本だ。まだ、はじめの1章しか読んでないし、5月に読むのとかあまりおすすめできないところもあるけれども、事実がそこにあることに対して誠実であることの思いを感じるのです。報道ってなんだろうねとかも少し考えさせられます。この違和感を感じだすと、テレビ見てるのがきつくなってくる感覚とかがわかるのかもしれない。

被害者たちにリアルな顔がない方が、文脈の展開は楽になるわけだ。そして「(顔のない)健全な市民」対「顔のある悪党たち」という古典的な対比によって、絵はずいぶん作りやすくなる。

私は出来る事なら、その固定された図式を外したいと思った。その朝、地下鉄に乗っていた一人ひとりの乗客にはちゃんと顔があり、生活があり、人生があり、家族があり、喜びがあり、トラブルがあり、矛盾やジレンマがあり、それらを総合したかたちでの物語があったはずなのだから。ないわけがないのだ。それはつまりあなたであり、また私でもあるのだから。
村上春樹全作品 1990-2000 6 アンダーグラウンド 「はじめに」P.26

これが15年も前の出来事で、わたしは当時、札幌近郊在住の学生の春休みだったのだけど、テレビが全部特番みたいになったりしたのを覚えてる。北海道だったから、テレビでやってる東京の出来事とか実感があまりなかったんだよね。

事件、事故のリアリティ。

5-6年前くらいから、首都圏生活者になりまして、どうもJRよりも地下鉄の方に縁がある暮らしをしています。15年前はただの情報だったことが、今では生活の一部で、日比谷線とか千代田線とかって、本当に日常で、その感覚にのっかったうえで、この事件の事を考えると、「うっ」となる。
直接巻き込まれてはいなくても、ずっと東京の人とかは今は東京メトロになった営団地下鉄とか、あの事件の事を考えるとちょっと考えると言ってた人は何人かいる。
それから、これって阪神の震災のときに、大阪や神戸にいた人とかは、やっぱり地震がすごい気持ち悪いって話していたし、知ってる物がありえないことになってることの練習をしてる人はいないので、ショックは受けると思う。

だいたい私なんて、北海道にわりと大きな台風がそのまま到達して、風がびゅーびゅーで、北大のポプラ並木が倒壊したり、友人の近所の公園の樹木が本当に根こそぎぶったおれてる写真だけでも、ショックをうけた。「ショックをうけた」ってドアホウなもの言いなんだけど、でも、本当にショック..で、日頃知っているものや、体感として日常や生活を感じるところだと、印象が全然違う。

そういうことなのです。当事者じゃなくても、生活や日常とのかかわりの深さ重さって、不確かを確かにする情報そのものとは別に、何か大事な事があるんだと思う。取り返しのつかない事との兼ね合いならなおさら。

「被害者」ではなくて

まだ1章なんだけど、そのインタビューの中で、

被害者ではなく、体験者なんです
村上春樹全作品 1990-2000 6 アンダーグラウンド P.65

って、出て来て、この一言が本当にすごい一言なんだ...。