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うちのとーちゃんとは昔は仲が悪かった

みんなが夢中になって暮らしていれば - くるえるはてなくしょん

なんとなく関連して。ときどき引合に出す父の話題。父や叔父やその同僚とか、あと大企業時代の上司とかをみて、近頃のわかいもんはっていうおっちゃんの気持ちもわかるようになったから、かのインタビューは私にはちょっと違う風に見えてたのかも。*1

感情を露にする父が苦手だった。

とくに秀才だった傾向にある人にそんな印象をうけるのですが*2、なんとなく秀才っぽいキャラの人ってかっこつけたがりなのと同時に、こう、すかした...というか、素直に「楽しい」とかの感情を表に出したらかっこわるいというか、はばかってしまう所がある人にはあると思うのですよ。これは自分もそうだったから、そう思うのですが、なんとなく周りから「バカ」に見えるんじゃないか、と本人が思うのと、周囲の影響とが入り交じってね。*3

んで、そういうキャラだった私は、何かといろいろなことを面白がったり、はしゃいだりする父と一緒にいるのが当時は苦手だった。ある意味で典型的な中二病高二病というか...。
一方で、父は父で、なんだか成績とかいいけどいまいち感動する様子がないし、何を考えているかわかりにくいし、普段はぼーっとした長男の私を苦手だった節がある。あと、息子の前で間違ったら何か気分悪いとかって思ったりしてた節もある。うちの父は理系的なというか、数学的なセンスがちょっと斜め上にあって、賢かったけど勉強は嫌いだったらしい。けど、その手のセンスがあって、負けず嫌いだったから、何か、息子の前で間違ったら負けかなと向こうが勝手に思ったらしく自然と会話が減ってった。
それから、父は野球とかスポーツ全般好きだったらしいんだけど、私は幼い頃からあまり運動ができなくて、野球観るならファミコンやりたい感じだった。だけど、父はそこまでゲームできないので、それがまたすれ違いだった。
あと、弟がいて、そっちの方は要領もよくて、ぱきぱきした性格でさばけていて思った事を言うし、父とはよく喧嘩してるけどそっちの方が仲が良かった。あと、でもまあ、兄弟は兄弟で得意な事がちがうのを完全にわかってたから、まあそっちはそっちで仲が良くて、と、そんな感じ。

意外と宿題が接点だった

高校からは俗にいう越境入学みたいなのをしていて、高校の初期の頃は完全アウェイで、学校も遠かったし、中学からの仲いい友達はひとりも居ないとこだったし、いい年こいて俺また転校生気分だなーとか考えてた。やっぱり知らない所で、ひとりだったのは、ストレス満載だった。そして、一応は進学校だったので宿題なんかもたくさん出たりしてて、けっこう疲れてた。昔から教わった事なら、すぐ出来たというか丸ごと覚えられたりした*4んだけど、予習とか、自学自習が逆に苦手だった。テストとかで知らない問題を考えるのは好きだったけど、押し付けられるのがいやだった。復習はすぐちゃっちゃっとできたけど、予習が本当に全然だめだった、間違って覚えてると忘れられなくなるので、石橋を叩いても渡らないというか、誰かを突き落としてから進むペンギンみたいな進み方しかできなかった。そんなスタイルやら生活のいろいろな変化で、なんだかんだでストレスがありそうだったたのを、ちょっと両親は心配だったらしい。無駄に宵っ張りで、朝早起きな生活をしてたからなおさら。
そんなとき、父はわからない事あったら、「理系の問題だったらなんでも聞けよ。意外とわかるぞ。一応昔やったんだからな」と、言ってくれてたけど、当時おばかちゃんだった私は自分で解決するよ、うるせーよ。と思っていたし、親父にわかるかよとも思っていた。

だけど、いろいろ回らなくなってきて、切羽詰まってきて、ダメ元*5で聞いてみたことがあった。

上記の負けず嫌いの件があったりして絡みにくかったし、おそるおそるだったけど、問題見たら、ちょっと図をかいて、こーこーこういうことでいいんだべ、と、問題集の回答や説明と全然ちがうけど、直感的にわかる人には一目見ればわかる説明で書いてあった。*6 秀才きどりの勘違いな私も、やっぱり単純で(笑)、手本をずばっと示されると言う事を聞くようになるし、話すと色々なことがお互いにわかって来た。普通に教科書や参考書とは違う解がでてくるのも面白かったし、血は争えないのか、父由来のヘンな回答の方がピンと来ることが多かったから。

以来、父との会話と来たら、宿題とかが会話の接点で、宿題がわからないから教えてくれと言うと必ず「別解のさらに別解」みたいなので、回答してくれて、そこはすごいと思っていた。こっちは、よくも悪くも当時ほとんど丸暗記だったり、発見する感じではなくて公式で片付けるだけみたいなことしてたから。意外と面白いことって探せばあるんだなと感じた。
ちなみにその別解みたいな回答ばかりがでてくるのは、どうやら、狙ってやろうとしていたのではなくて、左利きで右脳人間で感性で考えるキャラだった父は別解の仕方でしかわからなかったらしい。だいたいこんぐらいとか、図をかいたりとか、これは少なくとも違うし...、とかの勘がよかったんだよね。
そのかわり証明問題とかがぐだぐだなことが多かったかな。回りくどくてめんどい、とか、見ただけでわかるもんをうまく説明できないとか、イメージできなくてこれは無理だとか。そんな感じ。

で、これが、当時私は受験を意識しだす頃、父はもともと立派な中年で土建屋の現場屋さん、そんな頃の出来事。よく聞く問題は大学受験の数学とかたまに物理だった。*7あと、当時はテレビっ子だったので、全盛期の平成教育員会なんかはそういえば、楽しく見てたかな。

昔から、父はよく気分や直感みたいなところで話すし、段階を追うような論理的な説明が父が得意でないしめんどくさがりなのでしようとしなかった、それがまた苦手だったところがあった。かなり気分で話すんだよね(笑)
特に「わかんない奴には、説明したってどうせわからん」とか、「説明するより手本を示した方が速い」とか、「わかれ」とか、「めんどいし、これで感覚としてはわかるべや」とか、「段取り重視しろバカ」とか、「お前は頭いいかもしれないけど、どんくさい」とか、さんざんに言われていて、わかってない間の私は、それらを全部悪い方に考えていたんだよね。口悪いし、容赦しないし、あと怖そうだったしさ。*8

だけれど、いつからか逆に捉えるようになった。
「お前なら、こういう考え方も感覚でわかってできるようになるだろうし、要領を良くやれない限りは勉強できてもバカだ。」とね。事実、中3ぐらいからは何となく右脳もむりやり鍛えられてた片鱗が出て来たりしてたし。*9

それから、
「俺は現場やだから、段取りが命だし、結果がだめだとケガしたり死んだりするからよ。説明できるだけじゃだめなのよ、ちゃんとわかってて、出来たり作れたりしないと。」とか、そういう方針という大袈裟だけど、そういう考えが基本的にあったらしい。「図面とかならいいけど、書類書くとかはめんどうくさいしつまらないからいやだ」とも言っていた、どんだけだ(笑)。あと、「やれるところを見せないと、若い奴は言う事聞くわけねーべ。だいたいオレもそーだったしよ。」
そして、「気取ってエラそうな事言って仕切ってるだけの奴は対した事ないし、わかってないのよ。それよりも自分たちで、やって出来たりつくれたりする方がすごいべ。」とも、「楽しそうにしてるほうが、みんな言う事聞くし、楽しいべ」ともね。あれ、これなんて業界だ...? *10

その頃と同じくして、生活のアウェイ感も抜けてきていたし、面白くて楽しそうにしてるのにかっこいい知人がいたり、父の同僚と話す機会があったりなんかもして、いろいろ考え方が変わってきてたらしい。今もけっこう脳みそきもいほうに腐ってるけど、昔は性根がもっと腐ってたと思うわw。

うまいものとか食べたらおいしいし、応援してる方が勝つと楽しい

以来、その...おいしいものを食べたらおいしいって言ったり、応援してる方が勝ったり、すごいファインプレーをみたらすごいって言ったり、態度であらわしたりして、一緒に楽しまないと損だ。っていう考え方もわかった。これは札幌にもJリーグが来るようになったり、ワールドカップを見たりしたのが大きかったかな。とくにエクアドルのあんちゃんとか素敵だった、試合の日の朝から国旗背負ってエクアドール!! って、みんなに挨拶しててさ。お高くとまるのもいいけど、楽しいことがわからん人と楽しそうに出来ない人はちょっと気の毒だし、「お高くとまってるやつはぶっちゃけヤキいれてやろうか、この野郎。」みたいな、そんなことを、父はときどき言っていたw

あと、バカにはバカって言ってやるのも優しさだとかも言ってた。それでわからんやつは本当のバカだしな、わかってくれるやつは仲良くなれるしとか。そんな、全くもって口が悪いったらありゃしない父です。

まあ、そんな紆余曲折があって、今の私があって、すれ違うときもあるけど、わかるときも来るだろうし、いろんな人の考え方やスタンスを表現してくれて、それがわかるのはいい事だとおもったりしている、それが今回の件についての、私の雑感とその背景でした。

近頃のわかいもんはって言われたら、近頃のおっさんはっていいかえせばいいと思うよ。まあ期待されてるなって前向きにとらえてやればいいと思うことにしています。

*1:梅田さんはやっぱり秀才なんだなとか。なんか、そんな風におもったのもそうかも。

*2:大昔、私も田舎の秀才だった...大昔の片田舎でだけどね...orz

*3:でも、それって一流のふりした二流なんだよね

*4:あくまで当時ですよ...orz

*5:これはひどい..w

*6:一例は等差級数の問題で、父の方法は小学生のガウスと同じ方法だっととか。既出

*7:これはけっこうすごいと思う。40過ぎの人で、まだ普通に楽しそうに数学の問題に取り組める人って意外といないと知ったのはだいぶ後からの事だった。別に先生でもないのにそれは結構凄いよとよく言われた。ちなみに英語は母に聞けば大丈夫だった。

*8:ダイ大のマトリフがメドローア教える所がすきなのはちょっと思い出すところがあるからかも

*9:バスケしてるときとか意外と自然に左が使えたりとか。

*10:やっぱりITは土方なのかなw。