笑いの違和感
お笑いブームらしいのだけど、それと関係しているような、してないようなへんなエントリ。
ひとつ思うことは、何でも笑えばいいと思うよってのは間違ってると思うのですよ。正しいときもありますよ。エヴァくぁwせdrftgyふじこp;@:「」。
さて、かつて家元 立川談志 がNHKで違和感を語っていてさ、「富久」*1って題の落語がある。そのなかで、主人公が富くじ(≒宝くじ) に当たって喜ぶんだけど、まちがってそのあたりくじを燃やしてしまう場面がある。もちろん、談志師匠は、芸達者だし熱演なので見てて確かに面白いんだけど、それは滑稽ではないし笑えるところでは絶対にない。でも、笑いが起こるんだわ。
実際、立川談志が、あんな人なので、落語の途中なのに、「ここ笑うところかなぁ..?」って言ってしまう。実際、落語って何回か行くとわかるけど、何でも笑えるもんではなくて、むしろ泣いてる人が多かったりする。映画に近い。だからこそ家元は「落語は人間の業の肯定である」とか言ってるわけです。
こないだも新宿の末廣亭で、桂南喬師匠のらくだっていうのを、見て、ちょっと弱い立場にある人が酔っぱらって逆切れして泣き出すところがあるんだけれど、そこでもやっぱり上と同じことが起こってさ、気の毒な気分になりこそすれ、笑うところじゃない、そんなところで笑いが起こるのにすごく違和感があるんだ。もちろん寄席だからさ、老若男女問わず居るわけです。「若」は少なめに入ってるかもしれないけれど。
どっかの誰かに迷惑かけて、どっかの誰かの弱みにつけこんで、それで笑って仕事しろってのは無理だ。
- 夢の跡地 ダイアリーなくなるし引退かな
で、ちょっと長いまくらになりましたが、上記と関連して、これを普通と思うか普通と思わないかって重要なことだと、私は考えております。笑うところの違和感は、価値観の違和感に近い。まあ、それはいいや。
とにかく、自分が得したら、誰かが損をするのはただのお金儲けでさ、そんなの人の仕事じゃないしビジネスモデルでもなんでもないんだよね...。自分が得したら誰かも得をする仕事の仕組みを考えることを、きちんと考えなければいけません。もうすぐ30だしさ(苦)。
へんな話をすこししましたが、はてなについては、奥の深い遊び道具のひとつだと思えばいいと私は考えております。お礼にはお礼を。すごい文章を書く人がはてなにはたくさんおられますね。
*1:猫久と混同しちゃうんだよね... タイトルだけ
*2:なんとなくね囚人のジレンマゲームで、何となく全員Cを出していたのが日本のある程度いいところだと思うのだけど、いまって何となく全員がDを出すようになっちゃってると思うのだわ。それってあんまりよくないことだと思うのよね。とてつもない日本 (新潮新書)
*3:グダグダと書いてしまいましたが、なんとなくもやもや感を吐露した感じ。しかし、ひでぇ文章だ