あったらしくるえるはてなくしょん

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今度は国語の思い出...

http://d.hatena.ne.jp/pollyanna/20081206/p1
ヽ(゚ー゚*ヽ)ヽ(*゚ー゚*)ノ(ノ*゚ー゚)ノ 言及ありがとうございます。

お父様だなんて言われると、うちのおやじ父は卒倒してしまいますよ...。

あと、引用部分へのご感想を頂きありがとうございました。私はかつて小中学生のときは田舎だったし無駄に優秀だったときもあって、数学の授業中とかにひまだけど、かといってどうしていいかもわからず*1、教科書のおまけのコラムや問題集のコラムみたいなちょっと先走ったところを読んでるのとかが好きでした。
一方で、小学校高学年くらいまではデブ*2で、どんくさくて運動音痴だったので、それこそ体育の方はいつもドベの方とかで、いま各自が抱えてる問題の程度や、できるレベルでクラス分けする方が、ぜったい正しいのにな... と思っいたりしてました。

なので、チョイ悪な先生が垣間見せてくれるまだ見ぬ未来の問題*3を出してくれたり、いっつも理科の楽しい現象を実験して見せてくれた、先生とかは今でも覚えてる。

さておき、もっとも、私も理系の端くれですが、どちらかというと理系の人があえて文系や国語の話題を書くことにも幾ばくかの意味がありそうなので、記録しておきます。

というのも、

あるひとつのテキストについて、多くの人が一般的に読み取れる内容を、きちんと読み取れる力をつけるのが国語の教育だと私は勝手に考えていますが、それは非常に大切な力であると思います。
ただ、論説文ならまだしも、小説や詩について、まず楽しむことをせず、がちがちに一定の解釈に押し込めようとする類の教育には、私はどうしてもなじめませんでしたし、そもそも反体制だった(場合の多い)文学者たちのテキストが、受験生の序列化に使われているということはアイロニー以外の何ものでもないように思えるのです。

http://d.hatena.ne.jp/pollyanna/20081206/p1

この部分をきっかけに今度は国語のありがたい先生のことを思い出したから。*4

中学の先生がまさしく、
"小説や詩について、まず楽しむこと"
を教えてくれた先生でした。

私と同様に国語の授業で、宮沢賢治オツベルと象を国語の授業で読んだ事があるひともひょっとしたらいると思うのですが、その先生が "ぐららあがあ" という表現を褒め讃えていたり、あとは擬音語や擬態語の巧みさ*5や、いい文章やいい日本語だと思うところや表現をかなり噛み砕いて伝えてくれて本当にありがたかったです。

そして、そういう楽しんでる先生のほうが、
"多くの人が一般的に読み取れる内容を、きちんと読み取れる力をつけるのが国語の教育"
として、選択肢や説明は問題文に対して言い過ぎじゃないかとか、不足や誤読がないかといった観点をうまく説明してくれたりした思い出があります。

ちなみに高校の先生にもひとりすごーく愉快な先生がいて、
「もう君たちも高校3年生だからわかると思うが文学はエロスだ。」
みたいな、そういう先生がいたりもした。

なんだか懐かしかったので、深く考えずに書いてしまった...w どうもすみません... orz

*1:今考えるとすごーーーーーくもったいない...

*2:自分ではてブと空目した...

*3:数学ガールのあの先生とか神だよ。。

*4:ちなみにありがたくないことはすぐ忘れる事にしています。忘却はそのためにあると思うので..

*5:カーテンがしゃらんと揺れてだったかな??