理不尽だらけの学校制度も最適化しよう
http://d.hatena.ne.jp/lonlon2007/20080605/1212596527
http://d.hatena.ne.jp/lonlon2007/20080606/1212751338 (続きが上がってた。すごいなぁ... あと受験に幸運があるとよいね。)
今の授業を見てみると、要するに物凄い『受け身』の授業だと思うのだ。基本的には先生が板書し、説明しているだけ。生徒的にはそれこそブラウン管の向こうのものを見ている感覚に近い。こういう授業では殆ど頭を使わない(俺だけかもしれないけどね)。これをもっと双方向的な授業にしたいのだが、今は構造的にそれが出来ない状況になっている。
例えば、何か言いたいことや突っ込みたいこと(や言いたいギャグ)があっても、『俺がいらん発言をして授業の進行をストップさせたら他の人に迷惑かな?』とかそういう遠慮をして発言しなかったりすることが多い。確かに全員が疑問に思ったことをいちいち聞いたり、自分の持論を思い切り展開したりしていたら授業にならない。そんな中で自分だけワーワー言うっていうのもどうなんだ?というそういう思考は十分に理解できる。
「KYを共有して笑える人」とか「普通そういうことししないって言う人」って、自分だけ本気だとつらいんですよね。
先日の高校生界隈ブロガーの波が広がってたのを見直して、もう少し。
自分の駄エントリーとか弾言とか読み直してて、思い出したんだけどさ、授業もアレなんだけど、学校の制度自体が相当にあやしいよね..。やっぱり学校って抑圧されまくっていて、軋轢まくっているし。*1
学校にいたときに、私は無駄に田舎の秀才だったこともあるのでやけに浮いていたのですが、
「学校で理不尽なこともあるけど、オトナになって社会に出たらもっと理不尽で不条理なこともあるから」(「だから、学生はスポーツ刈りなw」みたいなのに続く)
んで、そういうのが全力で(゚Д゚)ハァ? だった、原理主義者な私がいたんですよ。不条理、理不尽や無駄の再生産を教育現場でする必要がどこにある、とね。
しかも、わけわからん教師に限ってえらそうにわけわからんことを言う。もっとも、一方で素敵な先生もいて、フロギストン説とかから分子のモデルについて語ってくれる先生もいたりしたし、根性論以外に理想のフォームやフォーメーションとかを教えてくれた体育の先生もいたんだけどさ。*2
だもんで、オモロー!!で本質的なひとが教育に携わると良いと思いますし、確変時のNHKの課外授業〜ようこそ先輩〜は実に素晴らしかったりする。(6/15は吉幾三 NHKはじまってた w???)他にも、今は広く情報を公開してくれるマッチョがたくさんいるので、学習するコストは分野によってはとても低いし、考え方のスタンスをたくさん見つけることもできる。閉ざされた場所で先ず生きているだけの人の話よりは、見つからないブログに書いてある記事の方が参考になったりもする。
学校の子どもサロン機能が有意義だっていうのは、わかるし、いろいろなを知っていることも大事だけれど、「十歳(とお)で神童、十五歳(じゅうご)で才子、二十歳(はたち)過ぎればただの人」を育成しまくるのはそろそろやめにしたらいいかもしれないなぁ...と。運用で対処して、機能してたこともあったのかもしれないけれど、そろそろ、小中からでも、特例をたくさん認めてもよいと思うのですよ。そうじゃなかったら、やっぱり日本でメッシは出てこないんじゃないかと思うんだ。タモさんだって幼稚園行ってないわけだし。
父の同僚で、スキージャンプのあの原田と同級生だった人がいたんです。*3
原田選手ってシーズンに入るとほとんど練習とか遠征とかで学校とかが相当にだましだましだったらしいんだけど(笑)、でも、それでふ〜な〜き〜で、日本全国がメダルに歓喜しまくり、泣き笑いの感動で涙目だったわけで、それは素晴らしいことだと思います。
なので、そういう、前向きに学校に行かないことをもっと制度的に肯定してもよろしいのではないかと。じゃなきゃ、やっぱり日本でメッシは出てこないんじゃないかと思うんだわ。それどころか、トランプ大富豪状態が加速しまくってはやりの格差があれがそれして...みたいになっちゃうだけだし。。。
適材適所のために、均質化された才能ではなくて偏っててもいいから適材を増やす方が、未来志向なのではないかと。最低限のリテラシーを身につけさせるのは必須としても、底から先の多様性の選択肢はもっとあっても良いのではないかと。好きなことを仕事にする。それしかないのだから。でないと、やっぱり日本のメ(ry *4
田舎の秀才だった私は本ばっかり読んでいたので、一時は相当にデブでピザで、背が伸びだすまでは運動とか全然できなかったのだけどさ、体育って習熟レベルや得手不得手によってクラス分けしたりするのに、普通の科目だとしなかったりするのが全然納得がいかなかった。いろいろな人がばらばらにいて、いろんな視野があったほうがいいっていうのとともに、トレーニングの効率が重視されてもよいことがあるだろうし、もっと真っ当に進級や落第や飛び級が議論されてもよいとも思うのですよ。出来る子にはどんどんいかせてあげる優しさもあるんだから。
私は外国語は実技であるべきだと思うし、体育にこそ科学が必要だと思うし、理科は実験が必要だと思うし、文系の授業はリサーチやフィールドワークが必要だと思うし、家庭科には化学が必要だと思ったりもするのです。もちろん、あわせて使えるところでIT使えるなら使えば良いしね。
ひとりでなんでもこなす小学校の先生はもっと評価されていいし、幼心にロールモデルみたい先生がもっといるとよいよねぇ。
こんなこと書いてたら、私塾のすすめが欲しくなってきたような、天気のよい土曜日。夜はサッカーサッカーサッカー。
- 作者: 齋藤孝梅田望夫
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