「チェルノブイリの祈り―未来の物語」を読んで、愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶかもしれませんが、経験から何かを感じることはとても大事に思われて
- 作者: スベトラーナ・アレクシエービッチ,松本妙子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1998/12/18
- メディア: 単行本
- クリック: 6回
- この商品を含むブログ (9件) を見る
さて、「戦争は女の顔をしていない」のお話 - くるえるはてなくしょんにつづいて、こちらも読んでみましたが、つらいお話です。お子様にまつわることで何かがある場合、あった場合はつらさマシマシです。おそロシアというか、当時はまあ、神をもおソ連みたいな事情だったのでしょうけど、その結果というのがこれという。
Civ で体制を共産主義にすると汚職がはびこるみたいな設定がありますが、個人的にはちょっとそれを思い出して、そういう具体的事例がこれまたのっていてという。
たいへんな事件や事故や出来事については、先の震災のときにビートたけしがというかこの場合は北野武名義のほうが正しい気もしますが、「3万人の人が亡くなった災害が1つあるのではなくて、1人の人が亡くなった出来事が3万件ある」という旨の発言があったと思いますが、その感触を地でいくというのが、この方のインタビュー本では強く感じられます。先日の戦争の本しかり、この本しかりですね。
「例示は理解の試金石」という金言が数学ガールに登場しますが、歴史上の事件や大きな出来事として、先の「戦争は...」の本がそうでしたが、独ソ戦で数千万人の方が犠牲になったというのは確かに数としてのインパクトはあります。ですが、それよりも従軍したりゲリラ活動の人の実体験の個別の事例のほうが心に迫るものがあったわけで、血みどろになった兵士のズボンがガビガビになってハンガーがなくても立ったとか(出血を止めてたガーゼのあの感じ)、ゲシュタポのマニキュアの話とか(これは手塚治虫のアドルフに告ぐでも出てきますが)、正直、知らないほうが良いこともあるような気もしますが、人生は一度しか無いから人は本を読むのです、という考えにおいては大事な本であるとも思われます。
戦争の悲惨な出来事についてのインパクトとはまた別のインパクトがやはり同様にこの本においても、いろいろあるのですが、初めにかけつけた消防士のエピソードと、あとは子どもと母親のお話と、いろいろな理由があってそこにとどまる人たちのお話とに、いろいろな辛さや理不尽があるのですが、一方でときどき垣間見える人のたくましさや意志の力やユーモアに同時に励まされたりします。
いくつかちょっとした小話がのっているのですが、そのなかで個人的に印象的だったのが
「チェルノブイリでとれた林檎はいかが?」
「そんなものだれが買うっていうんだい」
「会社の上司への贈り物にいかがですか」
みたいな、そういうのがあってですねそのあたりは少し励まされたりはします。
一方で、国家や体制としてのぐだぐだっぷりはアチャー感しか無いです。今、某知事が大騒ぎですし、日本もずっと人のこと言えないみたいになっていますが、このあたりはさすがに経験に学ぶよりも歴史に学んだほうがよいと思われるあたりです。
ですが、でもやっぱり、何よりも印象的なのは、放射線由来による子どもの不幸な出来事とか、先天性の障害のお話とかをその母親が話しているのを読むというのはとても辛いことで、そういう経験、とても具体的な事例から何かを感じるというのはそれは大切なことだと思います。
やめておいたほうがいいこともありますし、知らないほうがいいこともあります。ですが、ある程度大人なら知っておいたほうがいいこともあるとは思います。
では、良い人生を。